モロッコはアフリカか?

柴野利彦

「ピレネー山脈を越えると、そこはアフリカだ」という言う人がいる。もちろんこれを聞いたスペイン人は「違う」といって怒る。だいたい「フラメンコはスペインの音楽だ」と褒めたつもりで言っても、彼らは「あれは絶対にスペインの音楽ではない」と否定し、断固として譲らない。彼らに言わせれば、フラメンコはジプシーの音楽であって、スペインを代表する音楽では決してないのだ。既にそれだけで目からウロコの思いだというのに、それじゃ「何がスペインの音楽なんだ?」と聞くことができなかった残念な思い出がある。

スペインには2度行っているが、モロッコは1980年に初めて行った。マラケシまで行くつもりだったのだが、フェズで旅人を食い物にしている連中に絡まれそうになったためにそこで先を諦めて帰ってきた。ユーラシア大陸を一周した自負が、私の連れ合いとその母親の二人の女性を連れて行っても大丈夫だと過信させたもので、さすがにヨーロッパの安全はそこにはなく、甘かった。現在はもう少し安全になっているのかもしれないが…。

インテリのモロッコ人と電車のコンパーメントで一緒になった時にいろいろな話しをしたのだが、彼らはいちように「モロッコはアフリカではない」と断言する。パリに住むモロッコ人たちも同じことを言う。それではモロッコはどこにあるのだ? アフリカ大陸の最上部に位置し、ヨーロッパの玄関口にあたり、いわゆる黒人ではなくアラブ人が住んでいる国であることがそう言わせるのだと思われる。自分たちは未開人ではなく、文明人の仲間だと言っているようなニュアンスが含まれている。

日本人がかつては白人たちをくくって、なにもかもいっしょくたに欧米と表現していたことを考えれば、そういえば今ではめっきり欧米とひとくくりにすることが少なくなった……日本人にしても、やっとヨーロッパだけでも国の数だけ民族の数だけさまざまな生き様があることが分かってきたのだ、すなわちモロッコ人たちの言うことも分からないでもないのである。

かつては、日本人が白人女性を表現する時には、金髪、青い目、白い肌、八頭身、それらのうちの幾つかがあてはまればみんな美人といった理想を絵に描いたようなことを言ったものだが、ついここ10年くらいでそんなアホな言い方が少なくなってきた。朝日新聞の記事ですら、つい最近まではそんなバカげた表現を使って書いていた。1度でも海外で暮したことがあれば、白人といっても北欧を除けば短身、短足、胴長、黒髪、茶色の目などがとても多いことを理解するはずなのである。

さあて、今回はモロッコを取り上げることにしたのだが、果たしてその理由はあまりない。スペインを先にしようか、それとも地震騒ぎになっているニュージーランド(クライストチャーチは、英国人が理想を実現したような綺麗な街である)を先にしようかと迷った末に、やはりヨーロッパを少しずつ片付けようという気になったものだ。

カスバの迷宮があるフェズ(Fes)や近郊の木曜市場では、とても珍しい人々の姿を見ることができたので、これを紹介することにした。何百年か昔に遡った雰囲気で、私はこういうのが大好きなものだから夢中でシャッターを切ったことを覚えている。同じような気持ちは、アフガニスタンでも味わった。江戸から明治への過渡期に迷い込んだような気分になったものだ。

サティ作曲のミニオペラ『ブラバンのジュヌヴィエーヴ』は、写真だけ掲載してまったく文章での説明を省略してしまったのだが、私の連れ合いとその所属事務所が主催したものなので、自慢話になってもと遠慮したのである。手短に説明すると、エリックサティの死後、ピアノの背後から発見された楽譜を元にしたもので、発見されてから約50年後に台本が見つかり、楽譜と歌詞、台本が一緒になって演奏されるようになったのは1980年以後となる。日本語の資料など当然あるはずもなく、英語やフランス語の資料を漁り、それを自分たちの手で翻訳するところから始め、演劇人や歌手の人たちの助けを借りながら、長期間の準備と練習を重ねて自主公演したものである。広報活動をほとんどしなかったにもかかわらず、何とかお客さんに入ってもらうことができてホッとしたという代物となった。付け加えるなら本邦初演という栄誉も担うことになった。