「被災者へのレクイエム」について

「被災者へのレクイエム」

柴野利彦

2011年3月11日は、永遠に忘れられない日となりそうです。この体験を通して何が最も大切なものなのか、あるいはどうでも良いものなのかが、明確に判断できるようになった気がします。

それは普段の何でもない日常生活にこそ生きている意味があるのだということを、あの東日本大震災ほど知らしめてくれたものはありません。親子、兄弟姉妹、家族、親戚、身近な人々との関係こそ大切にしていかなければならないものであることを教えてくれました。

まさに涙なくしては直視できない事態でした。そして被災者のみなさんの多くが仮設住宅で暮らすことをいまだに余儀なくされています。神も仏もないできごとなのに、多くの方がそれを乗り越えて前へ進もうとしているのを見るにつけ、本当に頭が下がります。どんな境遇にあろうと、前進するしか方法がないのであれば、とにかくやるきゃない、ということです。でも若い人にはまだ未来がありますが、既に年老いた人たちにとっては、現在進行形のただただ悲惨なできごとであるというしかないのでしょうか?

家族を失い、家を失い、職を失い、仲間を失い、どうすれば良いのでしょう? その失意たるやありきたりの言葉では言い表せない気がします。こんな時にこそ国が全面的に手を差し伸べなければいけないと思うのに、原発関連では未だに補償問題でもめています。全国から集まった義援金ですら、なぜあれほどスムーズに配分できなかったのでしょうか?

 

もう正確なことは忘れてしまったのですが、おそらく震災が起きてから2ヶ月後くらいだと思います。「被災者へのレクイエム」というシリーズを写真のコーナーで開始し、毎月掲載しながら全部で20回を迎えました。ひどくショックを受けたことが引き金となり、何かをしなければいられないという気持ちがシリーズを継続させた原動力となりました。どなたかに見ていただいて、少しでも気持ちを安らげていただけたらというのが私の願いです。

実際に被災された人たちはもとより、あの映像にリアルタイムで接した人々もまた傷ついた人々であると私は思っています。そうした人たちすべてに向けた「被災者へのレクイエム」シリーズでした。まる2年が過ぎ、いったん終了することにしました。私もまた前進しなければならないのです。いつか再びこのシリーズを再開する時が来るかもしれません。

シリーズで掲載した写真のほとんどが新しく撮り下ろしたものです。撮影しながら思ったことは、日々、目にしているものが、ありふれた日常が、どれほど懐かしく大事なものになり得るのか、末期の目から逆にパースペクティブに振り返ると、平凡さがいかに新鮮なものに見えることかということを切実に感じました。

私の中で何かが大きく変化を遂げました。私は人を驚かすような奇異なものではなく、遠くのものでもなく、声高に叫び声をあげるものでもなく、もっと身近な日常の中のありふれた光景が撮れたら、と思うようになりました。

大昔に起きた伝説的なできごとだったはずの悲劇が眼前で起き、それを目にしただれもが自然には叶わないという諦めを抱いたに違いありません。自然を利用させてもらっているのが人間であり、自然の一部として生きているのが私たちのはずです。それがいつの間に自然を征服しているような感覚に陥り、原発が役目を終え、高レベルの放射性廃棄物が減衰して安全になるまで10万年もの歳月を要することすら問題としないような傲慢さを持ってしまったようです。まったく後世の子孫への贈り物としては最悪のプレゼントです。

今が良ければ後はどうなっても構わないという人間の欲望が際限のない悪循環を生み出してしまったのでしょう。少々の不便を覚悟しても、太陽光発電や風力発電、波発電、地熱などの自然エネルギーを利用できる範囲内で生きていけるような環境作りをすることが肝腎だといえそうです。

「地球は沙漠という資源を持っている」(ダイヤモンド社刊)という太陽光発電の可能性について私がまとめた本が出版されたのが、15年以上も前。当時は、原発には匹敵するわけがないという理由から、「頭がおかしいんじゃないの?」といぶしがられた本です。ところが、今ではだれもが当たり前のようにそれらについて語るようになっただけでなく、世界中で現実のものとなってきていることに隔世の感を覚えます。少しは我々を取り巻く環境が良い方向に向っていると考えて良いのでしょうか?

 

この4月から写真のコーナーでは、再びヨーロッパに戻ることにしました。フランスから始まり、だんだんと南下していくつもりだったのに、間にいろいろと挟まってしまい、モロッコからなかなか前に進むことができませんでした。

やっと再び旅へと戻ります。観光写真にならないように気をつけながら、進めていきたいと思っています。

 

今年1月の終わりに神楽坂のパルスギャラリーにおいて開催した絵の個展では、大勢の方に来ていただきました。ありがとうございました。写真のシリーズ「被災者へのレクイエム」を絵の方で受け継ぎ、同タイトルで20点ほど描き、選んで10点を展示しました。もちろんテーマ「レゾンデートル」の絵も10点以上展示しました。

そのうちの1点「静かに生きる権利」が、福島第一原発に最も近い場所に再建された教会で展示されることになりました。私の意図が伝わったのかもしれません。描いてる時には、単に私全体が祈りの固まりになっているような絵だったのですが、その表現を受けとめてくれたバイオリニストの方が手に入れて、教会に寄贈されたものです。

祈りが少しでも伝わったということであれば、こんなに嬉しいことはありません。1歩づつ進んでいくうちに、だれかがそれを見守ってくれるというのは、望外の幸せだという他ありません。感謝です。

人生に傷ついているすべての方たちが、癒されますように、心からの祈りを捧げたいと思います。