Pure Angelsについて

柴野利彦

これまで写真は景色が多かったので、ここら辺りで敢えて人物を挟むことにした。私はいつの間にか人物写真が得意、あるいは上手だと周囲から言われるようになり、その方面の仕事、対談だとかインタビューだとかいったものを、かなりの量こなしてきたことは確かである。

ずっと小冊子の表紙で女性を撮っていたこともあるし、社長対談という10万部ばかり出ている雑誌では23年以上も継続してそのコーナーを撮ってきた。あるいは有名人インタビューみたいなものなら、俳優や作家、映画監督、詩人、スポーツ選手、歌手、学者などいろいろな職種の何百人という数の撮影を行ってきた。一般の人まで入れたら、一体どれくらいの数の写真を撮ってきたことか、実は自分でも数えたことがないので分からない。

私自身には、自分がカメラマンだという意識が希薄なために、仕事で撮っても遊びで撮っても、何を撮ってもそれほどプロだからといった構えたものはない。ただ、仕事が成立しなくてはギャラが発生しないので、それなりの気は遣うが、ポジフィルムの時代では、ちょっとした光の使い方でアンダーになったり、オーバーに飛んだりと随分と苦労したものだ。現在のデジカメがあまりにも簡単に撮れるので、「冗談だろ?」と思えるのは何十年もフィルムで苦労してきた人なら、みな抱く同じ感慨に違いない。

今回の少女たちの写真は、まだ私がアマチュア時代のものだが、さりげない魅力を引き出していると思う。「農夫の娘」というのは、私の連れ合いと私の兄と何人かでパリ郊外をドライブした時に偶然出会ったもの。あまりに可愛かったものだから、傍にいた父親に断って撮らせてもらったものだ。

父親も嬉しかったのか、服を着替えさせて、唇に紅までいれて、さあ、撮ってください、といった感じだった。女の子も上機嫌で、自然光のなかで無意識なポーズを次々と展開するので、こんなことってあるのだろうか、と思えるほど軽快にシャッターを押すことができた。

私の兄は、子供の頃からフランス語をやっていたので、何不自由なくぺらぺらと喋る。彼がお父さんと話して通訳してくれたことは、その女の子は体が弱くて外で遊ぶことが少ないということと、最近、この辺りでは野ウサギ病が流行っていて、食べられなくなった、ということであった。その女の子の名前は残念ながら忘れてしまったのだけど、私と片言のフランス語で話し、クローバーの冠を作り、頭にかぶせて撮ったりした。

私の左手の薬指に、草で作った小さな指輪をはめようとしてくれたのには驚かされた。きっと彼女の好意なのだろうと、このおませさんと思ったものだ。あれから25年以上が過ぎて、果たしてあの少女はもう結婚して、同じような可愛い子供を産んでいるのだろうか?

もう一人の「友人の妹」というのは、いまだに付き合いのあるフランス人家族の一員で、今では大学で考古学を専攻して卒業し、既に就職して働いている。彼氏は1m80㎝以上もある大男で、彼女もすっかり成熟して様変わりしている。

ちょっとはにかんだ表情をする女の子で、お父さんが目の中に入れても痛くないといった表情で可愛がっていたのが、とっても印象的であった。

子供はあっという間に大きくなってしまう。ほんのわずかな期間にだけ訪れる、天使のような少女時代をカメラで記録できたことが、私にとっては至福そのものであるに違いない。