今、なぜセザンヌなのか?

柴野利彦

もう随分と昔になるが、連れ合いと共に南仏を新婚旅行でヒッチハイクしたことがあった。パリ郊外のアルクイユの教会で結婚式を挙げ、しばらくしてから出かけたのだが、当たり前の旅では満足できず、そんな無謀なことを面白がったのだ。若いということの証かもしれない。

アルルやマルセイユなどを回りながら、直ぐ近くのエクサンプロバンスのことが気になったものだ。遠くにセザンヌが描いたサントヴィクトワール山をちらっと垣間見たような記憶があるのだが、正確ではない。ヒッチハイクは乗せてくれた運転手しだいなので、こちらの希望で行き先を決めることなどできず、その行き先不明のどこにたどり着くのか分からない旅を、1度体験してみたかったのである。

結論から言えば、実に面白い体験ではあったけれど、効率があまりにも悪すぎた。何時間も路傍に立って乗せてくれる車を待つというのは、骨の折れる仕事である。高速の出入り口が狙い目の場所なのだが、そこには少なくないヒッチハイカーが集合していて、なかなか自分たちの番が回ってこない。ブロンドの魅力的な娘は、我々を尻目にあっという間に次の車をゲットして消えていく。

そんなことを思いだしながら、エクサンプロバンスへと出かけたのだった。2009年10月のできごとである。古くからの友人のベルナール・シュネーズが、「エクサンプロバンスは素晴らしいよ。そこへ一緒に行こう。サントヴィクトワール山へのハイキングも」と誘ってくれたのだ。その誘いに乗せられて、我々二人とベルナールの奥さんのアレッタとの4人で出かけたのだが、それは実に夢のような旅となった。今回の「セザンヌを捜して」を二人に捧げているのも、実はそうした事情がある。

なぜセザンヌなのか? もちろん美術的な意味合いで言っているのだが、それよりもそこに至るまでの過程の方にさまざまな因果が含まれていて、それが私にとってはセザンヌらしく思えてしまうのである。

セザンヌとの出会いは画学生時代のことで、そうした体験を経た人たちにとっては、私ごときが説明するまでもなく、自明の理ともいえるような存在なので、説明しようとすればするほど照れ臭くなってきたりもする。

近代絵画の父であるとか、自然はすべて幾何学に変換されるだとか、三角形の構図が最も安定しているだとか、空気を描くにはブルーを多く使うことだといった伝説に近いような言葉が沢山残されているけど、私にとってはセザンヌ自身が最後に「自分の目がオカシイのではないか?」と疑ったという逸話が最も印象深い。

「赤いチョッキの少年」の右腕の異常な長さを考えれば、そうした自分との闘いを最後まで追い詰めたセザンヌの人間的な疑問に、彼自身が抱えた問題の深さの謎を解く鍵が隠されているように思えてくるのである。

ジョン・リウォルド著『「セザンヌ」ーーゾラへの友情、その生涯と作品』という本を読むと、いかにセザンヌが人間嫌いになったかが良く理解できる。当時の画壇では、彼の作品は嘲笑の的になったことはあっても、ほとんど理解されることがなかったからだ。歴史的に絵が写真の代わりをつとめ、いかに写実的に描くかが求められた時代背景を考えれば、セザンヌの絵は下手糞な子供の絵に見えたとしてもそれほど不思議なことではない。

父親が銀行のオーナーという恵まれた環境にあったおかげで、パリから遠く離れた南仏の田舎に引っ込み、人と会うこともなく、静物やサントヴィクトワール山と正面からガチンコ対決をしたというのも頑固一徹を通せたのだと思われる。

そのサントヴィクトワール山だが、セザンヌの絵では、山が一つの固まり(マッス)として捕らえられ、ゴツゴツとした岩山であることを微塵も伺わせない。これは実際に見るまでは、まったく気が付かなかいことだった。セザンヌにとっては、細部よりも重量感のある固まりとしての山に興味を持っていたのである。面取りともいえる描き方であり、三次元の現実を二次元平面に移すことの課題こそが、彼の興味の対象だったのだ。

エンタシスの柱の中央が丸く膨らんでいるのは、遠くから見ると中央が痩せて見えるからであるというのは有名な話だが、それと同様に、彼の静物画では、例えばカップなどでは、しばしば光を受けている部分が膨張し、陰の部分は縮小されている。それはしかし、そのことによってまともに見えたり、あるいは少しの歪みがかえって当たり前の描写を凌ぐ緊迫感を獲得し、指摘されるまでは気がつかない。

セザンヌがピカソから絶賛を受け、キュビズムの先達としての栄光を担うのはまだ先の話だが、セザンヌ自身がそれを聞いたからといって果たして喜んだだろうか? だいたいセザンヌが亡くなった頃にはピカソはまだ青の時代の絵を描いていた訳だから、セザンヌには、本当に少ない理解者しかいなかったということになる。

晩年には高額で絵が取引されたらしいが、その頃には父親の遺産が入っていたし、病気がちだったとかで、あまり関係なかったと思える。

セザンヌの絵が今見ても新しく見えるのは、やはり絵画の潮流とは関係なく、自分の問題に集中し、視覚とは何かを問い詰めたその人間存在の根底との関わりにあるように思える。

今回は、セザンヌの故郷であるエクサンプロバンスに行き、改めて彼が直面した問題が何であったのかを考えさせられる旅だった。