親しみのアイルランドへの旅

柴野利彦

もうとりたてて海外に行きたいなんて思わなくなってから久しいのだが、フランスの友人たちの「今度はおまえたちがこっちに来る番だ」という誘いもあって、仕事も暇だったし、介護をする連れ合いの両親も元気だったし、それならいっそのこと出かけようかとばかりに借金をして行ってきたのが昨年の10月のことである。どうせならフランスだけでなく、もう一つ別の国にも足を延ばしてみようと思いたった。

アイルランドは、遥か昔から行きたいと思っていた国である。アイルランドの取材を頼まれたこともあるのだが、国内の仕事がどうしても片付かなくて、泣く泣く断ったことがあった。あの頃は次から次へと仕事が入ってきた時代で、常に5つも6つもがダンゴ状態に重なっていて、今となってはまるで夢のような話だ。

なぜアイルランドに行きたいと長い間思っていたのかというと、伝統的なアイリッシュ音楽がとても好きだからである。いつ頃からそうなったのかは良く覚えていないが、20代の始めにはもう好きになっていたような気がする。なぜなのか、人の気分を和らげ癒す効果があるのではないかと、私は推測している。

日本でも良く知られている『蛍の光』だが、むしろそれがアイルランド民謡だということを知らない人の方が多いかもしれない。『叱られて』と同じ五音階がもの悲しさを醸し出しているのだろう。日本独特の音階とアイルランドの音楽が同じだというのも、親しみを感じた理由かもしれない。私たちが普段、何気なく口ずさむ『ダニー・ボーイ』や『庭の千草』もアイルランド民謡であり、いつの間にかかなりの割合で脳内に浸透していることを実感する。

またローマ時代にヨーロッパに分散していたケルトについても某科学雑誌に書いたことがあり、そのために勉強したのだが、シーザーの『ガリア戦記』は、そのケルト退治の話であることをその時知った。ローマが世界の中心だった時代には、アルプス以北はすべて野蛮の未開地であった。そこ(ガリア)に住んでいたケルト人たちは、アメリカインディアンのように部族同士が散らばって、お互いに同じ民族だと思うこともなく敵味方に別れて戦闘を繰り返していたものだから、簡単にやられてしまった。

彼らはゲルマン民族にも追われ、ラテン民族にも追われ、逃げて残った場所が現在のノルマンディー地方とスコットランド、それにアイルランドだというわけである。文字を持たなかったために詳しい歴史が残っていないのがケルトであり、未だに謎の多い民族でもある。

アイルランドの歴史は悲劇そのものといってもいい。世界中を探しても、あまりないほどに徹底的に侵略者たちに痛めつけられている。だから音楽も清澄なたたずまいに悲しみを浮かべているような感じがある。エンヤもシニード・オコナーもアイリッシュである。U2もそう。

バイキングやノルマン人に侵略され支配され、さらにお隣のイングランドには植民地として数百年も統治され、自分たちが作ったジャガイモすらイギリスに持って行かれ、餓死者が200万人以上出たという。プロテスタントにも侵略され、アメリカへの移民はやはり200万人、その子孫が今では4000万人になるというのだからアメリカを建国した礎になったのがアイリッシュだと思えてしまう。自らの国があまりに苛酷だったために、脱出するしか生き延びる術がなかったとしたら、その子孫たちが弱者たちに同情する気質を備えていたとしても、あまりに当然なのかもしれない。

西部劇の元祖となったジョン・フォード監督もアイリッシュである。だから西部劇といえばバイオリン(フィドル)が奏でられ、炎を囲んでダンスが始まる。開拓移民にアイリッシュが多かったことが、こんなことからも推測できる。

書きたいことは山ほどあるのだが、どうしてこれほどにもアイルランドを身近に感じられるのかが、だんだんとその謎が解けてきたのが、今回のアイルランドの旅であった。アイリッシュというと、周辺国のヨーロッパ人たちから蔑まれるような雰囲気があるのは、彼らがあまりにも苛酷な運命を背負わされてきたからに過ぎないような気がする。

それにしては、どこに行っても美しい国、それがアイルランドだった。そういえば、文学でいえばジェームス・ジョイス、オスカー・ワイルド、スウィフト、バーナード・ショウ、イヨネスコなどがアイリッシュである。

バーに入って、ギネスを飲みながら伝統的なアイリッシュ音楽に耳を傾けることをやりたくて、行ったみたいなものだったが、それ以上に地の果てのあの世の国のような印象を受けてしまった。真昼の夢を貪るような静けさと永遠の悲しみを刻みこんだ大地とが出会って、アイルランドが産まれ、そこからまた人類の深淵を覗き込むような轍に魂が挟まってしまったかのような感慨が立ち上る。

photoは、1年以上続いたフランスから、やっとよその国に移ることにした。いつかパリに戻ることがあるかも知れないが、数年後だと思う。chrono-cubismに関しては、日本でも沢山撮っているので、再び登場させるつもりだ。

今後は、アイルランド、モロッコ、イタリア、ギリシャ、スイス、トルコ、イラン、アフガニスタン、インド、タイ、バリ島へと進んでいくつもりだが、途中で日本を挟んだりするかもしれない。それはその時の気持ちの持ち方しだいだ。それではまた。